うたかた意匠室の短編小箱

静かな森の奥深く 月灯りを頼りに迷い込んだ道先 そこにはあなた様に届けたい 心模様がありました

第三話 金星

ここは森の奥深く。

目印もなく迷った暁に辿り着く「うたかた意匠室」。


唯一、頼れるのはあなたを見つめる月の灯りだけ。


満月には必ずお客様がいらっしゃいますが、新月には誰も辿り着くことができません。


さて今夜はお客様がいらっしゃるのでしょうか。

 

 


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新月後の漆黒の空は、鋭利な刃物ですーっと半円に切れ目を入れられ、そこから眩しい光が細く漏れ出しています。

側には針で突いたような小さな穴から、同じく眩しい光が寄り添います。


あまりに美しい宇宙をもっと見たくて、私は付近を散策することにしました。


数え切れないほどの虫の声は幾重にも重なり、私を優しく包むシールドのようです。

シールドに包まれながらふわふわと歩いていると虫の声ではない声がやって来ました。


子供の静かな泣き声です。

この森に似つかわない声の元へと急ぎました。


鬱蒼とした深緑が突然開けた小さな空間に、小さな男の子が泣きながら佇んでいます。


「大丈夫ですか?」


そっと声を掛けます。


突然声を掛けられてギョッとした表情を向けながら男の子はますます声を上げて泣きます。


困りました。

兎に角、私は怪しい者ではありませんと示すために、その場に座り男の子が泣き止むまで静かに待つことにしました。


暫くすると、それが功を奏したのか、ただ泣き疲れて諦めたのか、男の子は私の前に座り込みました。


「大丈夫ですか?」


大丈夫ではないことは分かりますが、とりあえず声を再び掛けます。


私の問いには答えず、男の子はじっと私を見つめた後、


「あなたは誰?」

と言いました。


「私はうたかた意匠室の室長です」


「シツチョー?」


「はい。室長です」


「シツチョーさん、お腹が減ったの」


私はとりあえず男の子と一緒に戻ることにしました。


室内に入ると昨日焼いた歪なロシアンクッキーとミルクを男の子に出しました。

男の子は余程お腹が空いていたのか無言でクッキーを口に頬張りミルクで流し込みます。

すっかり完食したところで私は聞きます。


「なぜ森で一人なの?」


その問いに現実を思い出したのかまた泣きそうになりましたが、しっかり答えようとします。


「あのね、お母さんと森を散歩していたんだけど、離れちゃったの。

あのね、僕見つけたの。

馬みたいな鳥みたいな魚みたいなすごいやつ。

ツノまであったんだ。

そいつを追いかけていたの。

そしたらいつの間にかお母さんが居なくて、そいつも居なくなったの」


「馬みたいな鳥みたいな魚みたいな?」


「そう!

追いかけたらそいつめちゃくちゃ早く飛んで行っちゃった。向こうの方でジャブジャブ水の音もしたんだ。

だから水を探したんだけどなくって。

お母さんもなくって」


「きっとお母さんはあなたのことを探していますね。一緒に待ちましょう。きっとお母さんは迎えに来てくれます。この辺に家はうちしかありませんから」


クッキーとミルクをもう少し食べますか?と聞いたら頷いたのでさらにテーブルに出しました。


「あいつは絶対海に住んでいるんだ。水の音もしたし、キラキラ緑に光る鱗が見えたし。きっと草を食べに森まで来ていたんだよ。海に住んでるなら海のものを食べればいいのに。どうして森に来るんだろう。僕の持っている海の図鑑にはあんなやつは載っていないよ」


そう言って口いっぱいにクッキーを詰め込み、一生懸命咀嚼をしながら難しい顔をしてあの生物の謎を解こうとしているようです。

そしてまたミルクでクッキーを一気に流し込み、今度は私の謎に興味が湧いたようで、


「シツチョーさんはここで何してるの?

一人なの?」


口元にミルクの白い髭をつけながら男の子は聞きます。


「はい。一人です。ここでお客様からお話を聞いてそれにぴったりのお花のプレゼントを作っています」


「へー、そうなんだ」


「あなたは誰かにお花をプレゼントしたいと思いますか?」


「そりゃ、僕のお母さんにプレゼントしたいよ!

僕のお母さんはすごいんだ。僕のお母さんはいつも頑張っている。優しいし、クッキーを作るのも上手。シツチョーさんのよりもっと美味しいんだよ!

そうだ。僕のお母さんにお花を作って!

内緒でプレゼントして驚かすの。

いい?」


「もちろんです。お母さんにどんな気持ちを伝えたいですか?」


「大好きだってことだよ。

お母さんは忙しいし、なかなか話を聞いてもらえない時もあるけど、僕と一緒にいる時は図鑑に載っている魚のことを一緒に調べてくれたり、歌を歌ってくれたり、一緒に虫を捕まえてくれたり、シャンプーの泡をいーっぱい作って頭に乗せてくれるんだ。

そんなことしてくれるの世界で一人だけだよ」


「分かりました。あなたの気持ちが伝わるようなお花をお作りします」


お母さんにお花をプレゼントしているところを思い描いているのか、すっかりご機嫌になった男の子は椅子からぶら下がった足を全力で前後に動かし身体を上下に動かし今にも踊り出しそうです。


その時、外で声がしました。


「こんばんは。どなたかいらっしゃいますか?」


その声を聞くや否や男の子は椅子から飛び降り走ります。


「お母さーん!」


私は胸を撫で下ろします。


二人を見送ろうと外へ出ると、男の子の母親が深々と私に頭を下げて申し訳ないということと感謝を述べる間、側に居る男の子は私を大きな目で見据えて口をパクパクさせています。


目を凝らしてミルクの白髭を生やした唇を読むと


「お は な」


と言っているようです。

お母さんには秘密だからね、ということですね。


空には相変わらず二つの光がしっかり寄り添います。


それにしても、男の子が見たという馬のような鳥のような魚みたいな生き物。

私にもいつか出会えるのでしょうか。

 

 

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一週間後、花は出来上がりました。


けれども男の子はやって来ません。

やはりお母さんに内緒で花を取りに来ることは難しいのでしょう。

秘密の花は秘密のままそっと仕舞い込むことにしました。

 

 

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空の端がインディゴになり始めた頃、私は諦めて外へ出ます。

男の子が見たという馬のような鳥のような魚のようなツノが生えた生き物を探しに行くとしましょう。

私しか知らない秘密の小さなあの湖に行けば出会えるかもしれません。

 

 

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後日、男の子から手紙が届きました。

封筒には赤い花が描かれた切手と黄金虫が描かれた切手が貼ってあります。


「シツチョーさんへ。


おはなをとりにいけなくてごめんなさい。

おかあさんにないしょでいけなかった。


だからかわりにおはなのえをかいてプレゼントしました。

ピンクやオレンジやキイロやいろんないろのはなをかきました。


おかあさんはとてもよろこんでくれました。


いつかおおきくなったら、シツチョーさんのおはなをおかあさんにプレゼントしたいです。


それまでシツチョーさんはげんきでいてください」


今夜も虫の声が一層賑やかです。

短い命を余すことなく抱きしめて開放するかのように。

この地球で生きていることがどれほどの幸せであるかを自由に表現するように。


さて、馬のような鳥のような魚のようなツノの生えた生き物を探しに行くととします。

その生き物に出会えたら、まず男の子の話をしましょう。

お母さんが大好きな幸せな男の子の話を。